マネジメント神話

コンサル業界にいた人が半生を振り返り、コンサルやマネジメント業界の実態や思想を批判した本。コンサルは専門家になりきってクライアントを怖がらせ、決定権を奪い取り依存させて利益を掠め取ることだと断罪している。流行りのマネジメント思想は反証不能で同義反復な理論がほとんどであり、効率が上がることを信じて観測すれば効率が上がる「ホーソン効果」であったり、『エクセレントカンパニー』で語られた企業はその後平均と比べても業績が悪化していた、といった痛快な指摘を数多くしている。巷に溢れていてほとんどツッコミがない経営書、ビジネス書に対するカウンターウェイトとしておすすめ。この著者の『宮廷人と異端人』も読んだが非常に面白かった。

1兆円を盗んだ男

騒動になる前から、FTXを創設したサム・バンクマン=フリードを取材し、結局逮捕までを見届けることになった『マネー・ボール』作者マイケル・ルイスの本。面白くないはずがない。注目すべきはヘッジファンドでもひとつ抜けていたサムの頭の良さと、彼の作ったスタートアップやクリプト業界のはちゃめちゃさ、そして今もAI業界で絶大な影響力のある効果的利他主義の内側が垣間見れるところ。経済を支配しようとする人たちがどういう頭なのか見てみたいならぜひ読むべき。

デジタルの皇帝たち

サム・バンクマンのFTXは崩壊した新興国だったが、これは世界を牛耳る現代のデジタル帝国の話。インターネットの誕生で成功(または失敗)したリバタリアンが多く登場するが、自由を求める思想を持っていたはずが力を持つにつれ、ユーザーを支配する封建的、社会主義的な支配に移行していく矛盾を指摘している。同じような趣旨の本は『新しい封建制がやってくる』など多数ある。 『ソクラテスからのSNS』でも自由な言論を求める思想の持ち主が、権力を持つと言論を封殺することを「ミルトンの呪い」として紹介しており、権力を持つと人はどのように行動するか理解できるだろう。

カオスの帝王

『ブランクスワン』で話題となったナシーム・タレブのの裏側と言うべき話。彼が創設したヘッジファンドの右腕となったスピッツナーゲルを中心に、ブラックスワン=経済カオスで利益を得るスキーマを作りあげた仕組みや思想を追う。将来を予測して儲ける市場の裏側にある、みんなの予測が失敗して市場が暴落することで利益を得る取引の話が中心。平均すればほとんどのヘッジファンドより成績は良いという。それに対しカオスは予想できるという「ドラゴンキング」理論との対立や、タレブが近頃取り組んでいる予防原則、そして効果的利他主義の長期主義の話と続いていく。市場以外にこのような思想が応用されることがあり得ることは知っておくといいだろう。

金利

スピッツナーゲルの思想はオーストリア学派の経済学を基本としているが、その景気循環や金利の概念を説明をしている本。金利は色々な立場から見れば様々な意見がある。宗教的には否定されることが多く、金を貸すだけで利益があるのはおかしいという。借りる側からすると高い金利は負担であり、貸す側からすれば低い金利は避けたい。金利とは「時間の価格」なのだが、金融制度が整備されるにしたがって金利は下がり、同時に利回りを求めるお金はバブルを生み出したりもする。インフレの経験から国から独立して中央銀行が金利を管理する制度が生まれたものの、いつの間にか中央銀行が、金利で経済をコントロールする金融中央集権主義になっている弊害を指摘する。 『僕たちはまだインフレのことを何も知らない』でも金融政策により市場の価格発見能力が低下していると警告していて、経済理論の一つの考えとして頭に入れておくべきだろう。

WEIRD

WEIRDとはWestern Educated Industrialized Rich and Democratic=西洋の教育を受けた産業社会で裕福な民主主義国家という意味で、要するに「西洋人」である。なぜ西洋人が産業革命を起こし、先進国として世界を圧巻したのか。諸説あるものの著者はキリスト教の家族政策とプロテスタントが鍵だと主張する。昔から人類は家族を拡大して氏族をつくり、そのネットワークの庇護を受けたり、貢献したりする社会を築いてきた。多くの有力者や貴族もそのように登場したが、中世庶民の生活を支配しようとしたキリスト教は、氏族ネットワークを弱めようと核家族化を推進し、親族に頼らない個人主義的な思想が生まれる。その後生まれたプロテスタントでは聖書を読むための識字率を高め、勤勉に働くというメンタリティが普及する。それらが親族の枠を超えて合理的に協力し合うような「現代的」経済、技術、民主主義の発展に繋がり、産業革命まで到達したという。このWEIRDはもともと心理学実験における「西洋人」の偏りについて指摘したもので、世の中で正しいと思われる学術研究にも大きな影響を与えているバイアスや思想でもある。

なぜ人はアートを楽しむように進化したのか

対称的な顔が美しいと感じるのは、遺伝子の欠陥がなく寄生虫に対する耐性があるからであり、多くの美もそのような進化的な説明はできるが、アートに関しては明確な説明はできない。性淘汰としてアーティストがモテるからアートがあるのか、「たまたま」存在するのか? 著者はアートはシジュウカラの歌声だという仮説を唱える。シジュウカラの歌は、人間が歌とは別の目的で繁殖させた結果、選択圧が弱まり偶然生まれた多様な文化である。といってもよく理解できなし、明確な答えはない問いだろう。別の理解として、ヘンリックのいう「文化遺伝子共進化」、文化の表現と評価をするシステムの二次適応として存在するというのはどうだろう。前半の美の進化心理学や性淘汰の話がなかなか興味深かった。

Mine!

あいつのものはなぜあいつのものなのか。飛行機の前の座席がリクライニングする空間はあいつのものなのか?太陽光発電を導入したのに隣の家が木が植えて日陰になったら?ファッションを真似することはいいのにミッキーマウスを真似してはいけないのはなぜか?所有権には数多くの疑問と争いがあり、弁護士である著者は、所有権の源流は「早い者勝ち」「占有」「労働の報い」「付属」「自分の体」「家族」であるという。これは要するに多くの他人が納得するような説明ができるのか、とも思えるが、アメリカでは「土地を開拓したキリスト教徒」だけが所有権を主張できるという今では納得できない定義があった。翻って現代でもデジタルコンテンツを買っても所有権はなく利用権があるだけという納得できない現状がある。新しい形の所有権を利用するにせよ作るにせよ、法律概念を理解しておく必要があるだろう。